2月の精神科は、すごく寂しかった。
この文章を書くのは、精神的に苦しいので、文章がかなりおかしいかもしれません。
待合室で、ある家族を見た。
診察室から出てきたのは、母、父、そして子。
三人は、それぞれ少し離れたベンチソファーに座った。
私は、その並びの最後尾にいた。
最前列に母がひとり。
私の前に父。
その左隣の席に子。
不思議な座り位置だった。
正直、最初はこう思った。
「うわ、この家族、相当やばいのでは?」
けれどすぐに、母親が慌てて父の席へ移動した。
両親の動揺がうかがえた。
診察後、二人は一緒にカウンセリングルームへ入っていった。
子は待合室に残る。
子の後ろ姿が、少し怖かった。
待合室のテレビでは、介護施設で起きた殺人事件のニュースが流れていた。
精神科で、障害者の死のニュースを見る。
誰にも頼られない自分が、そこにいた。
つらかった。
やがて父と母の面談が終わり、
今度はカウンセラーに促されて、子がひとりで部屋へ入っていった。
戻ってきた、二人の座り方を見て、仲の良さがわかった。
体が、ぴたっとくっついている。
いいな、と思った。
父親はガテン系で、年の割に体格がいい。
会話が聞こえてきた。
父「帰りにドライブスルーで、ケンタと松屋、買って帰るか?」
「どっちかなら、食べられるだろ?」
母が何か答えていたが、よく聞き取れなかった。
それでも、この二人が「子のことを思って」ここに来ていることは、はっきり伝わってきた。
すごく、羨ましかった。
父親が嫌がらず、平日に精神科に来て、きちんと相談し、
帰り道には、子が喜びそうな食べ物を提案する。
ガテン系の父であっても、
体力や根性だけの世界ではないことを理解している人なのだと思った。
食べること。
それは、生きるうえでの重要なことだ。
今、私はキッチンで料理をし、飲みながら、この文章を書いている。
長芋とわかめの酢の物。
油揚げに生卵を入れて煮たもの。
締めは、白菜と舞茸を炒めてインスタントラーメンにのせ、
酢を大量に入れた一杯。
カウンセリングルームへ入っていった子は、
最初は重たい雰囲気だった。
けれど、出てきたときには顎が上がり、
父と母へ、しっかりと視線を送っていた。
私の診察はというと、
毒妹に対するさまざまな感情が噴き出し、
パニックになっただけだった。
父の余命宣告後、毒妹はライブへ行った。
私が嫌味を言うと、こう返ってきた。
「あ! 白ワインさん。
毒妹の私が、楽しんじゃいけないのか!!!?」
施設からは、
「お父様、いつ亡くなってもおかしくない状況です。心の準備を」
と伝えられていた。
そんななか、毒妹はB’zのライブへ行った。
有効期限つきのユニバのチケットをもらったから、
父に会いに来るよりユニバを優先すると言った。
さらに、こうも言った。
「子どもの学校行事があるから。
葬儀とかぶったら、白ワインさん。一人で葬儀してね」
甥が葬儀より学校を優先するのは、私はありだと思う。
でも、娘のお前は来い!
これらの行動を許す毒妹の旦那にも、私は違和感を覚えた。
また、結婚式以降、会っていなかった旦那の妹は父の病院関係者だったため少し関わったが、
二回やりとりしたLINEで切った。この義理の妹も想像をはるかに超えている人だった。
結局、毒妹は介護を手伝うこともなかった。
すべて私に丸投げだった。
来たとしても、食事をおごれと言う始末。
さらに、こうも言った。
「お父さんも、いつまでもっては言ってられないよ。
葬儀屋と相談しときなよ」
他人事のような口調だった。
あれは現実だったのだと、今になって思う。
常軌を逸している世界に、私はいたのだと思う。
思い出せばきりがない。
診察室で見た親子の姿と比べると、
自分の身内はモンスターばかりだと実感させられた。
治らない障がいに向き合おうとしても、
その前に立ちはだかる肉親がいる。
よく「縁を切ればいい」と言うけれど、
家族としての義務は、簡単には手放させてくれない。
そして私は体調を崩した。
調子の悪いまま、旅行へ行くことになった。
おしまい。
